下北山村役場 北直紀
NAOKI KITA 1983年生まれ。下北山村出身。下北山村では高校がないため15歳から親元を離れ兄姉とともに橿原市に。大学卒業後、中学校の先生として5年間勤務。結婚を機にUターンし下北山村役場に就職。自伐型林業を村に導入し、林業係になってもうすぐ8年目。村での自伐型林業の研修を主催するうちに、自分でもユンボで道づくりがしたいと思うようになり、2019年自宅の裏山に東京ドーム1つ分の山を購入。僕山と名付け、任意団体ライトクラブのメンバーとともに休日林業を楽しんでいる。
自伐型林業を知ったきっかけは?
自伐型林業の記事をみた南村長から自伐型林業について調べてみてくれないか?というのが、はじまりでした。その頃、地方創生の流れで、地方は地方でがんばっていこうという時期でもあり、自伐型林業がはじまった時期とも重なりました。
自伐型林業について、どう思っていますか?
自伐型林業って林業でいうと、道を作って、木を伐って、搬出してしかも山主さんと信頼関係を結ぶ。林業でいうと花形です。割と簡単に参入できるように紹介されたりしますがそれは全く違うと思います。今のところ自伐型を地でいける人はスーパーマンだと思います。僕の役割は、彼らが参入しやすく、地域の人や山林所有者の人とつなぎ、できるだけやりやすくすることだと思っています。それと同時に、山主さんも次の世代にいい形で山を引き継いでいってくれたらと思います。ヨーロッパにフォレスターという職業や、吉野には山守という役割を表す言葉があります。これらの人に共通するのは、地域や地域の森林に責任を持つということだと思います。山をやっていく人も、次の世代に地域や地域の森林を引き継いでいってくれるような責任感や能力・知識を身に着けていってほしいなと思います。地域のことを知る、地域の人とコミュニケーションをとる。森林のことを知る。林業の役割をしっかりと伝える。自伐型林業に関わらずですが森林を扱うということはそれくらいの覚悟がないとだめなんだろうなといつも思います。
道づくりについては、どうですか?
個人的には、道は残っていくものだから面白いなとおもっています。誰でも、使える道になったらいいなとおもいます。道があることで、いろいろな人が山に入る機会にもなって、次の世代に残していける、いい仕事だなと。道づくりを通して、林業のあり方を見れるようになっていければ。
これまで自伐型林業の研修を運営してきて、おもうことはありますか?
いつも終わったら、やっと終わった!とほっとしますね。2020年の研修は、河野さんが中心でやってくれたので一歩さがってみることができて、数日たってから、やってよかったなあー、と思いましたね。やっぱり参加される皆さんが、「山との関わり」を欲しているんだなと思います。知らないことも多く、山から木をだして、製品にするということまでを知れたのは、大事なことではないかと。ものづくりの部分では、これをどう作るか?をみんなで決めなくてはいけなかったので、つくっていくプロセスが難しいなーと思いました。でも、かたちになり、できた!というのは、嬉しいですね。いい研修でした。
自伐型林業研修だけでは、スタートラインにたっただけで、やっぱりその先もっと学びたいとか、ユンボを買う前にユンボのスキルを身に着けたいとか本当にやりたいなと思った人の前に課題がたくさん並んでいるのは、研修を通じて実感を持つことができました。そういった人の気持ちがすごくわかるので、自分が持ってる山で練習してうまくなってくれたらな、とか思います。
森そのものについては、どう感じていますか?
森からは、いただいているという感覚が一番強いです。生かされているというか、木材にしろ、水にしろ、森からいただいている、やらせてもらっている感覚ですね。これから、森林との付き合い方は、変わっていくとおもいます。林業だけではない価値もあります。いろんな価値をもつ森を守っていけたらいいなと思います。
最近、林業くらい見えないものはないなと思います。どのように木をだして、製材されて、市場にでているか、見えにくいので、わからないまま、結局安く売られている現状。かといってその正しさ、その事実を伝えて、そのまま買ってください!とは言えないので、ストーリーの力は必要なのかなと思います。ここにある、正しい価値を伝えれたらいいなと思います。
働き方についてはどうおもっていますか?
僕は、自分が大企業に勤めるのはあまり想像できませんでした。大学生当時は、海外とインターネット等でつながりやすくなってきた時代の始まりでしたが、全然自分がそこにいるのが想像できませんでした。自分が生まれ育った下北山村で、下北山村のために仕事ができているのが、すごくやりがいがあり、今思ってもそういう選択をしてよかったな、と思います。だから、働かされるのではなく能動的に働くことがとっても大事なんだろうなと思います。やらされるのってすごくストレスを感じます。その先に何があるかって、見えてたら耐えられますけど、なんのためにこの仕事してるんだろう?て思うのが一番、心と体が離れるような気がしています。でも、まあいろんな人と出会って、その人にあった働き方はあると思います。もくもくとやるのが得意な人もいるし、人としゃべるのが好きな人もいます。それぞれの人たちが活きる仕事が、この地域にあればなと思います。
休日林業の現場、北さんがお持ちの山=僕山のコンセプトは何ですか?
次の世代に残していくこと。
自分だけでなく、いろんな人に入ってもらえる場所になること。笑
山を開放する考えは今までなかったので、やってみたいですね。
北さんの夢は?
下北山村をよくしたい気持ちがあります。そのなかで林業という、山を守る仕事が憧れの職業、目指したい職業になればいいなとおもいます。日本全国の課題でもあるので、やりがいのある仕事だなと思います。
協力隊と一緒に仕事をして、おもうことはありますか?
協力隊の立場は、自立を目指すという中で役場の部下とはまた違うので、難しいなと常に考えていて、地域の事や森林、林業の事を学んで自発的に活動して貰うことを大切にしようと思ってきました。これは、雇われていようがいまいが姿勢としては変わらなく大切な事で、色々な方の協力を得ながら前向きに取り組んで貰えたことで方向性を少しだけ示す事ができたのではないかと思います。
卒業してからも、森林林業に関わってくれる人が出てきたのはとても嬉しい出来事のひとつになりました。またそれぞれで個性も違うのでそれぞれの目線を感じながら、「下北山村」「森林」というもので混じり合いながらそれぞれが活きていく(生きていく)道を見つけるサポートは、これからも協力隊の担当としての使命かなと思います。まだまだ林業を通じて、下北山村を素敵な村にしていくためには、やらなければいけない事はたくさんあります!
担い手の安井さんがこの春卒業するにあたり、協力隊が卒業してもユンボをレンタルできる、道づくりや弱度の間伐施業について村で補助するなど来年度から運用する新たな要綱を作るため、この一年奔走してきた北さん。さまざまな要綱作りで苦労されたことは?
今回、作った要綱は村(自治体)が、民有林を管理していくという村の「きまり」を作るというものでした。決めるというのは大変な作業ではありますが、一番は村の将来のため。森林を通じて、そこがブレなければ大丈夫だと思っていました。
やってみると、頭では整理していても掘り下げると、現場は色んなパターンが想定されます。作業道がつけられない山、所有が共有される山、それらの1つ1つが矛盾することなく制度を作るというのが、難しい点でした。所有者、施業者1人1人の顔を思いながらまた将来と向き合う事で自分と常に向き合いながら・・・これって小さな村だからこそ出来る作業だなと思います。自治体が本気になって村の森林を考える。そうゆう事に繋がって、本当にやって良かったなと思います。あとはやりながら、色んな事が起こるはずです。前向きな失敗、前のめりの失敗をたくさんやったもの勝ちだと思います。村の将来の為にどんどんいい意味での失敗をしていきたいと思います。
2021年は北さんにとってどんな一年でしたか?
2016年から始まったprojectです。悩む期間(助走)が長いほど高く飛べる。うまく行かないことが、打開への一歩。安井さん、河野さんが卒業後も「森のび」という法人を立ち上げ、下北山村に住みながら森林、林業に関わってくれるということを決めてくれた事が、この上なくよろこびであり、これが次の人が新たな力を発揮し、次の世代に繋がるような飛躍への一歩になればと思います。
ご心配、かけてきた皆様にも報いるために 2022年は、飛躍の1年にしていきたいです!
後記
協力隊のインタビューの中に常にでてくる北さん。北さんって誰だ?どんな人?と思っていた方もいるでしょう。彼に出会って、安心して村に来ることを決めた人は多いです。下北山村で、山をやって生きていける準備が整ってきました。要綱についてはまた別のストーリーで詳しく話すとして、小さな村の小さな波紋がやがて大きなうねりになるのは、もうすぐかも。いよいよ、第2フェーズのはじまりです。
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